■伊根の舟屋

2009/11/15


■伊根の舟屋
2年前の晩秋の、ちょうど今頃に丹後半島をめぐる旅に出た。
米原から敦賀に入り、若狭鉄道で天橋立を巡った。
天橋立に下りて、天の橋立の松林の中の砂地を辿ると、林の向うから静かな波音と塩の香りがしていた。
松林の中の御茶屋でお茶をいただくとイメージの天の橋立にはるばる着いたんだ、との実感が迫ってきた。橋立の麓の寺にお参りをして参道を戻りながら、松葉蟹を親類に宅配した。
伊根行きのバスに乗り、途中甕神社に詣でた。さすがに古色ゆかしいたたずまいに感動した。またバスを待って伊根に向かった。暫くすると潮の湾の向うに湾を囲むように、板塀と瓦の伊根の家並みの中のバス停で降りた。ついに念願の町に着いたのだ。
予約してあった、舟屋を宿にした民宿はすぐわかった。すぐ探せるほど小さくかわいい漁村であった。宿の床下から波の音がした。舟屋を改造した為であろう。窓を開けると海が目前で、まるで平底の船にいるようだ。軒には日干しの小魚が並んでいた。
荷を降ろして、夕闇迫る町に出た。白壁と石塀の向うに白熱灯の明かりが見えた。近付とそこは、伊根の酒屋であった。看板に伊根の地酒の赤酒とあったので尋ねると、女主人と娘が試飲をさせてくれた。早速その赤米で醸造した赤い美酒を求めてみた。聞くと娘は東京農業大学の醸造課で学んでいたと言う。それがうれしく思えた。大事に赤米の小瓶を抱え宿に戻った。宿で伊根の魚料理と地酒に感激した。
翌朝は快晴、湾に沿って町を巡った。湾の高見に神社があり、湾を見下ろしていた。
対岸の湾のから見える舟屋の重なりは予期したとはいえ、体感しないとその不思議な人の営みは解からないと思った。いつまでも見ていたかったが、またバスで天橋立に戻り、レンタカーを借りて、丹後半島を時計回りに巡ることにした。途中左手に日本海を望む漁港
に立ち寄りながら気楽な旅をした。夕方、天の橋立の見える山腹の宿に投宿した。
 ホワイエから天に昇るような橋立の姿を眺めていると、白いものが降ってきた。ああ・・雪だ。この季節にと思いながら、松に積もる雪を眺めていると、天に虹が架っていた。

■日蝕と邪馬台国

2009/08/31


 今年の2009年7月22日、皆既日蝕がインド、中国、日本と観察されました。日本では46年ぶりとなる皆既日蝕でした。残念なことに多くの地方では天候に恵まれなかったようですが、一部の島や洋上は、コロナやダイヤモンドリングが観察されました。日本の洋上や小笠原諸島の日食に報道も過熱しました。
1963年7月21日の日蝕は、私は東京で部分日蝕を観測しました。ローソクの火で焦がしたすりガラスから見たオレンジ色の日輪が欠けて暫くするとまた明るくなっていく宇宙の劇的な映像は忘れられない青春時代の思い出であり、ドラマであった記憶が甦ります。最近のハイビジョンの報道映像はよくその雰囲気を伝えてくれるのは誠にありがたい時代になったと思います。
さぞかし古代の人は日輪の隠れていく様を見てさぞかし畏れ慄いたことと想像できます。
 中国及び日本の古代の朝廷でも国家行事に太陽が隠れることを不吉とし、暦博士が日食の予定日を計算し天文博士が事前にこれを観測して密奏を行う規則が成立したとされていたほど重要な天体観測でした。古代人の太陽信仰は大変に密接であったと思われます。
とりわけ、古代史上の謎の多い、邪馬台国と日蝕を巡る謎解きに興味が付きません。
以下にその推論の経過を纏めて見ます。異論があるのを覚悟して・・・

 三国志に記された、「魏志倭人伝」を再度点検してみると、「倭国はもと男子をもって王としていたが、7,80年前に倭国は乱れ、あい攻伐して,一女子を立てて王とし、卑弥呼と呼んだという。卑弥呼は鬼道に使い、よく衆を惑わす」とある。この鬼道とは今も伝わる日輪信仰に近い<占い>ではないかと思われる。
また卑弥呼像として独身の女王、弟を、持ち死んで大きな墓に葬られたと記されている。 
邪馬台国論争において、周知の様に、大和説、九州説があり、確たる結論がまだ無い。最近の古代史研究は大和説を支持する論調が多く寄せられているようだが、九州説論者に支持が多いのは卑弥呼即ち天照大神説で注目される説に邪馬台国東遷説である。この説を述べたのは白鳥庫吉教授であり、その後、和辻哲郎、栗山周一なども、この仮設に立てば、古事記や日本書紀の記述と魏志倭人の記述がかなり符合するとした。
現在の北九州説を強く主張している産能大学の安本美典は在任期間等の統計的手法から、この説を支持している。その他、吉野ヶ里を邪馬台国とする研究家も現れている。まさに百家争鳴の感がある。
前途の安本氏によると、邪馬台国は筑後川全流域を勢力圏とする国であったとする説である。それが卑弥呼の死後、或いは2年続いた皆既日蝕に畏れた古代人が新たな都を求めて東遷を開始し、海を渡り大和に大和朝廷を開いたという仮説を説いている。
「邪馬台国の東遷説」と、「大和、近畿説」はどこかに接点があるかもしれない。今の混迷の状況は、故意に歴史を故意に歪めようとする何かの力があるのではあるまいかとも思われるほどである。史実は一つなのだから、今後の発見と研究を期待したい。
「大和、近畿説」を繋げるものとして「邪馬台国の東遷説」を見てみると、邪馬台国は九州の地にあった豪族の一つであった。そして、朝鮮や中国と交渉しようとしたほどの外交感覚も備えた和国の一つであったと仮定する。では、なぜ邪馬台国は九州の地を離れて東遷しようとしたならば、その契機は何であったのだろうか?
そこに私は次の重要な一つのニュースに着目したいと思う。

 それは最近の天文計算の結果、過去にこの北九州あたりに2年連続して皆既日蝕が起こったという研究である。安本美典氏もその主張の論拠の一つにもしている。その説を以下に紹介して東遷したとする推論を試みたい。

 それは西暦247年3月24日と西暦248年9月5日であったというPCの計算結果の事実。(これはアスキー社のPCソフトステラビナビゲーターによっても確認された。小生も確認した。驚きでした。)また、元東京天文台の斉藤国冶教授の『古代の日食をめぐって』にも発表された。
この日蝕が、しかも2回とも天候もよく観測された皆既日蝕であったのだろうあろうか?不可思議な現象が同じ北九州で2回も起り、日輪が隠れたとは・・・古代の時代かなりの衝撃的な事件であったろう。
「この恐れ慄いた日蝕が、東遷する契機となったのではないか?」とするこの推論に私は強い関心と興味がある一人です。
この年の頃と言えば卑弥呼が死んだと見られる年でもあるとされる。
卑弥呼が神話化したのが天照大御神(太陽神)ではないか。古事記や日本書紀の「天の岩屋」の神話の記述はこの2回の皆既(或いは部分)日蝕と古代人の信仰に強い影響を受けたものではないかと思いたくなる。このように天照大御神=卑弥呼と見ると、がぜん九州説が有利と成るのであるが・・・史実はどうであろうか?
最近研究は古代の発掘品を根拠に大和説の傾きかけてもいる。箸墓古墳もその築造年代測定が西暦280年前後とされ、卑弥呼の死後から50年の経た古墳とされこの説は無視されてきた。しかしこのような年代の不一致は今後明らかになって来るだろう。
安本氏によると、邪馬台国は筑後川全流域を勢力圏とする国であったとする説である。それが卑弥呼の死後、或いは2年続いた皆既日蝕に畏れた古代人が新たな都を求めて東遷を開始し、海を渡り大和に大和朝廷を開いたという仮説を説いている。

また、今後の100年の間に日本で日蝕が見られるのは2035年と2063年という。
このたびの日食報道を想うと、卑弥呼時代に想いに繋がってくる。ああ邪馬台国は何処に・・

Space Ship One

2009/07/20


■宇宙旅行の夢
 40年前の1969年7月20日は人類が始めて月に降りた記念日です。
七夕も過ぎ、煌く夜空の星を想い宇宙旅行のお話をしたい。
2004年10月4日に第1回のSpace Ship1を宇宙に向けて発射され一人乗り有人飛行を成功させたニュースは新たな時代の幕開けを知らせてくれます。さらに1回目から14日以内に2回目の飛行をも高度328000フィートの飛行で成功させ、10万ドルの賞金を獲得したという。
 その新ロケットデザイン発想は、「安全には発射され、安全にかつ繰り返し使え、大気圏突入の難問を解決した革新的デザイン」でありました。
NASAやロシヤの発想とは革新的に違う新しいコンセプトの新飛行体の商業宇宙旅行の幕開けです。
今や新たな航空宇宙産業の生産会を設立し、大組織によらない飛行の成功を目指し、商業宇飛行を夢見て、 2005年7月27日にはサーリチャードブランソン(ファウンダー、ヴァージングループ会社)、バートルータン氏(代表取締役社長、スケールコンポジット)は 新会社は設立したといいます。今後 新しい宇宙船を打ち上げ( SS2 ) とホワイトナイト2 ( WK2 )のデザインを所有し、宇宙飛行の歴史は作られることになるという。
そしてもうその予約も開始されているとのこと。
間もなく七夕の出逢いも宇宙から見られることになるのだろうと思うと楽しみなことであります。今後に注目です。

伝統を支える人

2009/06/18


5月の東北、蔵王に旅しました。そこで出逢った宿の女将と仲居さんの見事な対応に驚いた。
宿の名は 蔵王、高見屋という。訪れた私たちに、実に心地いい応対をしていただいた。
勿論、宿のしつらえも見事なものであった。特に使い込まれた浴槽と湯の硫黄のにおいが忘れられない。
隅々に、宿の人たちに支えられ建築が活きていいるような感覚を覚えた。
何より湯宿に<寄り添う人>のもてなしに感動した。また尋ねてみたい宿の一つにしておこう。
 宿から、春浅い蔵王の山にケーブルカーで尋ねて見ることにした。里は薄日が指していていたが、見上げる山は霧に包まれているようであった。こころいい速さで、山腹の駅に着いた。里と違い、山の気温は肌だ寒い
かった。見晴台から眺めると里の下のあたりは浅黄の間に桜色、中腹は茜色と杉の濃い緑、頂の近くは枯葉色のグラデーションに成って、色が春の訪れを教えていた。その春浅い林道を下ると、椎の実の収穫予測をしている人に出会った。
尋ねるとこの調査は豊凶調査という。山林にい4〜5輪の網を広げ落ちる木の実の数を庁調査しているとのこと、何でそんな調査を問うと熊の食料の過不足を調べているとのこと。地味だがここにも人と自然を支える人がいて、驚いた。
また暫く林道を行くと静かな森の池に出会った。ひっそりと雪解けの清冽な水を湛えた池に聳える雪山の嶺を流れる雲と青空が押し合っているかのようであった。 池の畔の東屋で休息をとりながら土手を歩くと、フキノトウや土筆が雪解けた斜面に顔ををだしていた。ポケットいっぱいに採り遊んでからだ。
 
 雪解けの沢道を歩くと、4階建てのスイスの合掌造りの洋館の佇まいの山小屋が突如現れてきた。ここでティタイムにしようかと思わずニスの塗られた重量の木の扉を開けて たのもう、こんにちはと主人を呼んだがあいにく留守の様であった。実はこの蔵王の山小屋は30年前になるだろうか、昔、家族とスキーに訪れた懐かしい山小屋だ。名は<三五郎小屋>と言い、よくメンテナンスされていてあの頃を思い出しながら、山小屋を見上げていた。これも山小屋を愛する人たちの贈り物であろうか。いつの間にか霧は切れて青空が山を照らしていた。春浅い山の匂いが忘れられない小さな旅であった。

侍ジャパンと稲造

2009/03/30


WBCの侍ジャパンの活躍の余韻が残る。
野球人と侍のイメージが勝利を呼んだとも云えよう。
侍は武士道にその行動の源が有ることは私たちは知っている。
武士道の精神が野球のバットに乗り移り、勝利の一振りを呼んだとも云えようか。
 世界は新渡戸稲造の<武士道>に再び脚光を浴びせたいのか?
ここで、5千円の肖像の新渡戸稲造の武士道が書いた経緯を見てみよう。
新渡戸は盛岡藩士の三男として生まれ、帝国大学進学後、「太平洋のかけ橋」になりたいと私費でアメリカに留学し、ジョンズ・ホプキンス大学に入学した。稲造は伝統的なキリスト教の信仰に懐疑的になって、クエーカ派に傾斜し、集会に通い始め正式に会員となり、後に妻となるメリー・エルキントンと出会い結婚した。
この夫人メリーに日本人と武士道について度を聞かれたのを纏める形で、名著『武士道』を英文で書きあげたと言う。
もし、今日のWBCの侍ジャパン記事を新渡戸が見たら何と思うであろうか?或いは新渡戸は是を予言したのか?
そして、イチローやチームの戦士は明治の侍の一人、新渡戸稲造の心をどう見ているであろうか?
また飛躍するが、デザインの世界でSAMURAIのデザイナーを彷彿とさせるデザイナーは誰といえるであろうか?
そして私はSamuraiの精神に触れ、その気概に近ずく建築家に成りたいと思う。


和弓の美

2009/02/19


 弓の歴史は旧石器時代に近東アジア地方の民族に始まるといわれている。
その普及は驚くほどの速さで、世界の狩猟の民に普及した。その伝播は各民族の工夫により形も長さも多様であった。短弓あり、長弓あり、また直弓形式と湾局弓形式と改良、工夫されてきた。
日本の弓は大和地方の石器時代の発見から、長弓の丸木弓であった。また銅鐸にも狩猟の絵として、握りが弓の下部に描かれている長弓の姿が見られる。
この特質が脈々として現代の日本弓の引き継がれている。奈良の正倉院にもこの長弓が伝わっている。その形態は明らかに中国や韓国の弓とは違いがある。なぜこのように形態や製法や射法に違いがあるのだろうか?日本の弓のあの美しい形の秘密はどこにあるのだろうか?是を研究することは建築設計の上でも参考になるだろう。例えば日本建築に見られる反りの美しさにも通じる曲線と直線の調和ある美しさに通じている。
和弓は全長の1/3の辺に弓束(握り)がありその上下に美しい曲線(反り)を持つ。和弓は弦を張ると剛と柔の調和があり、世界の弓の中でも特筆される美しさではないか。是を生み出す弓の製法にも独特の工夫が脈々と受け継がれている。最近ではカーボン竹弓というハイブリットな弓もあるくらいだ。
 弓の作法は射法八節という一連の流れの動作によって的に放たれる。空間に放たれた矢は自己の技と心を映して的に向かう。正に自己鍛錬であり生涯スポーツとして楽しめるスポーツの一つである。 ゴルフやスキージャンプも道具を使いながら空間に放たれた矢(自己のの意思)に似ている。

私はそれにほれて、12歳ごろから和弓を始めてた一人である。弓馬の道というが、その為の射の道は深く、極めることは遠く長い道である。

Cool Japann

2008/10/03


■Cool Japann
<Cool Japan>というBS放送・テレビ番組がある。
来日している外国の方々(日本語がとても達者)に日本語で外国の方から見た、
日本の風俗、文化について直にインタービュウしたり、スタジオの各国の
人たちの意見を聞きながら、JapanのCoolなもの・Coolな文化・習慣を探す
番組だ。私はこの種の番組を見るのを楽しみにしている一人だ。
また、NHKの海外一般特派員からの情報を集めての放送番組も面白い放送番組だ。
海外で暮らすと、日本の習慣が打ち砕かれるかれる場合もあるようだ。
意外な視点、意外な価値観、日本では常識と思っていたことが、外国の人からは
誠に変な習慣や、癖であったりすることが愉快で、滑稽だったりするからだ。
または、逆に、外国にあって、わが国には無い、うらやむ様な癖や
文化に触れたりもする。
まさに、これが<アハ体験>が出来る番組であろうか。脳が刺激され大好きだ。
Coolという概念は、日本語に直訳できそうも無い。
強いて言うなら、<粋・Iki>という言葉に近いかもしれない。でも違うかあ?

■そこで、想う。Coolな家・Coolな建築 とは無いものかと・・
・ 創ってみたい・触ってみたい・見てみたい。
PS. このコラムを書いている朝、沖縄は気温27℃とか、一方富士山に発冠雪が観測されたとか、まさに、日本の風土の変化は Cool Japan かな・・

オリンピックの建築・その他コラム

2008/09/18


■ 北京五輪が終幕となった。
主会場の「鳥の巣(英名 Bird's Nest)」の設計は2002年の国際建築
設計競技で勝利したスイス人グループのヘルツォーク&ド・ムーロンの案によるものです。
この奇抜な案の構造設計は英国の有名な技術集団・アラップ社です。
その大きさは330m×220mで、高さは69.2mで最大収容予定人数は91,000人の規模の作品です。
映像スクリーンの巨大なガラス繊維の幕が会場の情感を盛り上げることを十二分に予見した映像効果を意識した設計です。総工費は35億元といわれています。

 
■ 鳥の巣に隣接して(ウォーターキューブ・中国語:水立方)」の愛称をもった 水泳競技施設がユニークな建築です。
この設計はオーストラリアの設計集団・PTW社によるものです。
これに地元中国の設計院と技術コンサルタント会社の英国のオブ・アラップ社を加えて設計されたものです。
外壁および屋根はETFE膜(フッ素樹脂系の一種の膜)で覆われていて、日本のガラスメーカーの製品を用いて実現したものと聞いています。
建物は177m×177m×31mで、石鹸の水泡幕を原理として構成された建築作品です。
夜間のカラーのライトアップが周知のように見事ですね。
この、水泡膜の原理は自然界によく見られる120度の交わり(例えば蜂の巣)に由来していると見ることが出来ます。(お風呂で水泡膜を観察下さい。)
それは、鳥の巣にも言えて、直線や直角の単純な構成手法からの<脱却>とされ、昨今設計界で<脱モダニズム建築・錯綜の建築>として注目される方法の一つです。

開会式はご存知の通り、スティルバーグ前監督の後任の中国映画監督である張芸謀総監督のもとに、
コスチュームディレクターにはアートディレクターの石岡瑛子氏が、ヴィジュアルディレクターには現代美術家の蔡國強氏が起用されています。
批判もあるでしょうが、その映像・演出・製作者に拍手をおくりたい。素直に感動しました。

 開会式に戻りますが、張芸謀監督は中国の数ある発明のうち「紙・かみ」に着目し、開会式の軸とした構成をしていました。賛否はあると思いますが、
初めての開催国中国PRとして見事な演出・構成と思いました。
また、今日のパラリンピック開会式では、宇宙との交信をテーマにした部分がありました。演出・構成と、式典の映像にまたまた感動しました。
ところでお月見の季節となりましたので月周回衛星かぐやの画像が見えるHPを覗いてみてください。  http://wms.selene.jaxa.jp/index_j.html
また、三鷹:Mitakaと言う4次元デジタル宇宙ビューワー "Mitaka"HPもあます。
http://4d2u.nao.ac.jp/html/program/mitaka/皆様もデジタル宇宙旅行が手軽に楽しめますよ。


水の世紀と技術知力・五輪級の新技術

2008/08/25


■ 今世紀は水の世紀と注目されている。地球は水の惑星と呼ばれているが、温暖化に伴い水をめぐる紛争、戦いが巻き起こっている。化石燃料の石油資源の枯渇が叫ばれてから久しいが、また、水も資源となる日が、もう始まっている。この水の惑星にとっても、水もまた有限な資源でなのだとの意識改革が必要な時代になっている。
■ 水不足や食料不足が紙面に踊るこの頃、水をめぐる新技術に注目したい。 その一・真水で海の魚を生育させる魔法の水の技術。この技術によって、砂漠でも山でもマグロがいただけるかも知れない・・・。
 その二・海水を飲める真水に変える濾過技術と保水技術。・・・乾燥地を緑の林に変える夢が現実に。
 その三・汚れた水を、清水にして、衛生的に優れた水に変える革新技術。
以上の、水をめぐる新技術が再び注目される。
これらの開発に尽力された方々に、深く敬意を表したい。そうして若し、今世紀の技術五輪が有れば、メダル受賞の価値がある新技術だろうと思います。
■ 奇しくも昨日、北京五輪の幕が下りたが、体力で競う五輪よりも、技術知力・五輪が似合う国々の競い合いが今望まれている21世紀と思うのだが・・・・・皆様、如何でしょう。
 さて、今年の夏は、熱帯夜に苛まれた酷暑であった。夏になると、いつも必ず涼を求めて渓流を沢歩きや、湖畔や、また海岸に遊ぶことを楽しむ。
清流を遡行すれば流れる瀬音と薫緑が快い伴奏である。水は流れて淀み、また流れていた。その水の一滴は、とてもいとおしく想える。

四川大地震や日本の頻発する地震と耐震技術

2008/08/01


■四川大地震や日本に頻発している地震被害の災害記憶が薄れようとしている。大陸型の断層地震とその余震被害と堰止湖決壊の恐怖は日本での断層型地震でも派生していた。被災された方の、ご冥福と復興を祈る。
改めて日本にM.7クラスの大地震に見舞われことを想起すると、中国や日本の旧耐震設計基準による多くの住宅や学校や社会施設の建築・土木の耐震性は、まだまだ、危うい状態のままである。
建築が粉々に崩れている状況は全てを一瞬に奪い去ってしまっている。この惨状を見るに付け、耐震性の重要さを再認識させられる。
四川大地震を遠い他国の出来事と看過することは出来ない。また、この大地震が、中国の歴史を替え、世界がそれに巻き込まれることが予測される。エッポクメイキングキングな出来事になりそうだ。
我々の生活は中国製品に囲まれて生活しているといっても過言ではない。例えば食料・衣料・電化製品はもとより、レアーメタルもこの地域が独占していると言う。これらを輸入している国への影響が、既に出始めているという。
■人類は現在、地震予知を出来ないとしても、人の生命を守れる耐震性能高い住まいや建築構造、簡便で軽量な耐震シェルター、耐震家具は可能な技術で獲得出来よう。
ところで、人類は現在、地震予知を出来ないと言われているが、この四川大地震の直前に大量の蛙が移動している不思議なPhotoを現実に見た。果たして、生物には人類が察知できない未知の能力があるかもしれない。研究分野がまだまだ有るといえよう。


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